英語パンダ
純ジャパ独学でTOEIC満点取得。 独学勉強法にはこだわりを持ち、大学受験では偏差値40から有名大学へ自力合格。 大学卒業後、某上場企業へ入社し、海外駐在を経て子会社代表に30代で就任。
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“Lame”を斬る 〜 スラングから見える価値観の変遷

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「Lame」という言葉を耳にしたことはありますか?このスラングは現代の若者言葉の中で広く使われていますが、実は意外な起源と経緵を持っているのです。本記事では、Lameの意味の変遷と背景にあるカルチャーを探りながら、価値観の移り変わりにも目を向けていきます。一つのスラングからは、言葉を超えた人間社会の在り方までが透けて見えてくるかもしれません。

“Lame”の原義と由来

まずはLameという言葉の語源から確認していきましょう。この言葉の原義は「足を引きずる、跛行する」という意味があります。つまり文字通り「足の不自由な人」を指していたのです。

起源は14世紀のフランス語”l’ame”に遡ると言われています。古英語に入ってからlame[レイム]と発音されるようになり、18世紀頃から「精神的・肉体的に障害のある人」を示す言葉として使われ始めました。

この頃のLameはあくまでも障害者を指す中立的な言葉でした。しかし次第にネガティブな意味合いを帯びるようになり、遂には「つまらない、ダサい、面白くない」といった意味で使われるようになっていったのです。

そしてこのスラング的な使われ方が、現代の若者言葉として更に加速度的に広まっていくことになるのです。

Lameの意味の変遷

ここからはLameの意味がどのように変遷してきたのかを確認していきましょう。

【17-18世紀】⇒中立的な「障害者」の意味

【19世紀】⇒ネガティブな「つまらない」「ふがいない」の意味

【20世紀前半】⇒陰に隠れた良くないものを指す「ダサイ」という意味に

【20世紀後半】⇒若者文化の中で「最悪!」「ダメ!」の俗語として定着

このようにLameは徐々にネガティブな意味合いを帯びながらも、スラングとしての使用範囲が広がっていったのです。

もともとの中立的な意味から一転して「良くない評価」を表す言葉へと変遷を遂げたわけですが、その背景にはポップカルチャーの影響があったと考えられます。

ポップカルチャーとの関係性

Lameがスラングとして急速に広まったのは、20世紀後半のポップカルチャーの影響が大きかったと言われています。

特にヒップホップ文化の中で、アーティストたちがLameを「ダサい」「最悪」と表現することで、このスラングが若者の間で爆発的に広まっていったのです。

Lameはそもそも身体障害者を指す言葉でしたが、ヒップホップ界隈ではネガティブな意味合いが強調され、やがて様々な状況で使われるようになりました。つまり、この言葉を「悪い」と定義付け、自らのアイデンティティを確立する目的で用いられたのです。

また90年代に入ると、Lameは映画やTV番組の中でも使われ始め、明らかに蔑視や差別的な意味を持つようになりました。その真逆の考えから生まれた「アンチLame(Anti-Lame)運動」もあったほどです。

このようにヒップホップを中心としたポップカルチャーの影響を受けながら、Lameは次第にマイノリティへの差別用語として定着していったのです。

Lameの現在の使われ方

さて、そんなネガティブなイメージを持つLameですが、実際の使われ方は一体どのようなものがあるのでしょうか。ここでは現代の若者言葉におけるLameの具体例をご紹介します。

【物事を非難する際】
「あのパーティー、全然盛り上がんなかったわ。Lameすぎ」
「試合の内容がLameだった。本気で戦ってないみたいだし」

【人の言動を指して】
「彼女の話し方は影くさくてLameだった」
「あのYouTuber、動画の内容がLameすぎるわ」

【趣味嗜好に対して】
「最近のアニメはLameなやつが多すぎる」
「そのファッションLameすぎwww今すぐ脱げよ!」

このように、好き嫌いの価値判断を示す際にLameは非常に多用されています。人を傷つけたり差別するつもりはなく、単に自分の主観で「ダサい」「面白くない」と表現するのが一般的な使い方です。

しかしその一方で、あからさまな差別的な意味で使われることもあります。一例を挙げると、

「障害者のことをLameって呼ぶな。そういうの差別的な言葉だろ」

と、元来の意味を踏まえた上で注意を促す場合です。このように現在のLameには、中立&否定の両面があることが見て取れます。

Lameをめぐる課題と反省

ここまでLameの意味の変遷とその背景にあるカルチャー、そして現代での使われ方について解説してきました。

このスラングが差別的な意味で使われる場合があることも確認しましたが、近年ではそうした点を反省する声も上がっています。

確かにLameという言葉自体に差別の意味はありませんが、障害者への偏見や蔑視を連想させてしまうのは事実です。元来の意味を踏まえると、Lameにはマジョリティに対するマイノリティの視線が反映されているとも言えます。

また、単に「ダサい」という自分勝手な価値判断を押し付けているように映る使い方もあります。個性を認め合うことの大切さを忘れさせられかねません。

つまりLameは肯定的な使われ方しかできず、必然的に否定の要素を持ち続けてしまう言葉だと指摘されているのです。

そうした意味で、この言葉をめぐり根底にある価値観を問い直す必要があるのかもしれません。ダイバーシティの重要性が叫ばれる昨今において、無作為に個性を否定するようなスラングを安易に用いるべきではありません。

言葉から見える価値観

ここまで、Lameの意味の移り変わりと現代の使われ方、そしてそれをめぐる課題について見てきました。

このスラングの存在自体が、マジョリティとマイノリティ、個性の承認と否定といった要素が錯綜する、私たちの価値観の在り様を浮き彫りにしているのかもしれません。

つまりLameという個々の言葉の中に、排他的な思考と多様性を認める寛容性が交錯しているのです。スラングの形を取りながらも、私たち人間社会の姿そのものが投影されている側面があると言えるでしょう。

Lameが前時代には「障害者」を指していたことを踏まえると、この言葉から見えてくるのは弱者に対するまなざしの変遷なのかもしれません。そしてその先に、「個性の受け入れ」というさらなる課題が示されているのです。

このように一つの言葉の背景を掘り下げていけば、言葉の向こう側に人間社会に内在する価値観の有り様がわずかに覗けてくるのです。今回のLameの事例では、スラングの奥底に新しい時代が求める課題が潜んでいたと言えるのではないでしょうか。

おわりに

Lameという一見ただの若者言葉に過ぎないスラングについて、その意味の変遷とニュアンスの変化を追いながらご紹介してきました。

この言葉が生まれた背景には、障害者への偏見というマジョリティ側の排他的な思考があり、やがてポップカルチャーの影響を受けることで「ダサい」という主観的な評価の言葉へと変容していったことが分かりました。

そしてその一方で、現代においてはダイバーシティという新しい価値観との間で、Lameの存在意義自体が問い直されつつある状況もあるのです。

このように一つの言葉を追うだけでも、それが生まれた当時の価値観から現代に至るまでの有り様まで、見えてくるものがあります。個々の言葉という小さな存在の中にこそ、人間社会における大きな視点の変化が映し出されているのかもしれません。

今後もLameという言葉の行く末が、言葉に内在する価値観の移り変わりと重なり合っていくことでしょう。言葉への注目は、私たち自身への気づきをももたらす、そういった面白さと可能性を秘めているのです。

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